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内田 忠男
評論家・ジャーナリスト

内田 忠男

肩書:国際ジャーナリスト

メディア出演など:【テレビ】
名古屋テレビ、東海テレビ、岐阜放送、中京テレビ、CBCテレビ、読売テレビ、朝日放送、毎日放送など
【著書】
マンハッタン ブロードキャスティング(1989年 日経通信社)
世紀末の日本と世界(1996年 近代文芸社)
国際ビジネスの基礎知識百科(1989年 主婦と生活社=監修) など。
その他雑誌、新聞などへの寄稿



内田 忠男

国際ジャーナリスト内田忠男の世界

第一線のジャーナリスト歴は今年で56年目。そのうち在米期間は、1975年以来通算26年余り。(ニューヨークが大半で、ロサンゼルスにも5年間居住)全米50州のうち、48州に足跡を記している。

米国の政治、経済はもとより、国際情勢、国際経済、日米関係の機微にわたり該博な知識と豊富な取材経験を有する。
米国大統領選挙をまじかに取材したのは、1976年のカーターVSフォード以来、東京で夕方ニュースのアンカーをしていた92年を除く毎回、2004年7回目。
また、キャリアの過半を占めた国際ジャーナリズムの活動では、G7,G8の主要国首脳会議(サミット)を計23回現地取材したのをはじめ、米ソ、米ロ首脳会談、全欧安保協力会議首脳会議、ダボス会議、米州首脳会議など、国際会議の取材経験をきわめて豊富かつ多岐にわたる。現役ジャーナリストでは最も豊富な取材体験を持つ。

以上のような硬派の取材対象ばかりでなく、スポーツ、メディア界、市井の市民感情にも精通している。とくにスポーツでは、米大リーグやPGA,LPGAなどゴルフの取材経験が豊富。
大リーグ取材では、若いころ1年間だけだったが読売新聞運動部に勤務した経験を生かし、常にスコアカードを携えて、ゲームの成り行きをプロの立場で見ているし、ゴルフでは、岡本綾子ら日本人ゴルファーのツアー優勝をたびたび取材したほか、テレビ朝日が全米オープンの放送権を取得した後、3年間解説を担当した。また大相撲は、父親が春日野部屋の後援者だった為、小学校3年頃から本場所、稽古を見ており、前記読売運動部時代には支度部屋取材を担当、社会部時代には「横綱北の湖誕生」の記事を執筆。

また個人的な趣味の領域では、ニューヨーク在住中は、メトロポリタン・オペラとNYフィルを定期的に観賞。とくにメッツのオペラは「スポンサー・パトロン」として登録されプログラムにも名前が掲載されている(02~03シーズンまで)。
ロサンゼルス在住中は、ロサンゼルス・フィルの定期会員でもあった。

このように、幅と奥行きが非常に広いジャーナリストであり、そうした含蓄をもとに発せられるコメントは、視聴者から「解りやすい」「歯切れが良い」「論理の筋が通っている」「正しい日本語」との定評を得ている。
とくに、同時多発テロやイラク戦争など、突発的な重大事に直面した際のリポートは、状況把握のスピード、情報の選択、冷静な分析に基づくコメントの構成、抑制の効いた文言、的確な解説・・・と言った面で他の追随を許さなかった。

半世紀前の1964年東京五輪を直に取材した数少ない現役ジャーナリストでもあり、10月10日の開会式は国立競技場の記者席に身を置いていた。組織委、選手村、外国プレスと、セーリング、ボート、カヌー競技を担当した。

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講師情報

講師名

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評論家・ジャーナリスト


肩書

国際ジャーナリスト


経歴

1939年(昭和14年)6月9日、マニラ市(当時米領フィリピン群島)に生まれる。
日米開戦直前に日本に引き揚げ、幼時を神奈川県葉
山町で、小学5年以降は東京で育つ。
東京教育大学(現筑波大)付属中学、高校を経て、
1962年3月、慶應義塾大学経済学部卒業。同年、読売
新聞社入社。入社直後の福島支局在勤中は、殺人事件の犯人を自力で突き止め、支局に連れ帰ったことも。
東京本社(1964年:運動部、1966年:社会部、1975
年:外報部)では、東京オリンピック、日本万国博、札幌冬季オリンピックという戦後日本の3大ナショナル・プロジェクトや、国際ガン学会、ビートルズ東京公演などを取材する傍ら、欠陥車、公害、消費者問題などキャンペーン性の濃い調査報道に従事。また韓国(日航機よど号ハイジャック事件)、欧州各国(第1回国連人間環境会議=ストックホルム=や過激派のハイジャック事件など)、米国(第1次オイルショックの反応等)などで短期特派員。創設時の日本記者クラブ、メンバー。社会部での最後の仕事は、エリザベス英女王訪日の取材班キャップ、女王陛下と握手する光栄に浴す。
1975年9月からロサンゼルス特派員。モントリオール・オリンピック、ロッキード事件、世界初の火星着陸探査(Viking計画)などを取材する一方、活性化した日本企業の対米進出など経済現象を注視。
1978年、同社を退社。U.S.-Japan Business News社(ロサンゼルス)の副社長・編集主幹を務めながら文筆評論活動に従事。ローカルの日本語TVにも出演。この間California State University,Long BeachでVisiting Lecturer(客員講師)。
1980年10月からテレビ朝日系の報道番組<ビッグニュースショー、いま世界は>のニューヨーク側キャスターを委嘱されニューヨークに転居。引き続き1988年9月まで<TVスクープ><ニュースステーション>のニューヨーク駐在キャスター。この間、ヘンリー・キッシンジャー博士をはじめ各国の要人多数と単独会見。また、戒厳令下のポーランドでラコフスキ副首相やワレサ連帯議長との単独会見にも成功。1981年のポーランド取材では『東西対立構造崩壊の萌芽を見た』とリポート。なお、1985年に前記U.S.-Japan Business News社を退社。
1988年9月、日本に帰国。
同年10月から同局系<内田忠男モーニングショー>のメイン・キャスター。
1991年4月からは同局系ネットワークニュース<ステーションEYE>のメイン・キャスター。この間、定時番組のほかに「冷戦終結」「湾岸戦争」「リクルート事件」「昭和天皇の崩御」「葬儀」「皇太子殿下の婚約」など数多くの報道特別番組のメイン・キャスターもつとめる。日本外国特派員協会会員。
1993年5月からは再びニューヨークに駐在、同局の国際問題専任キャスターとして世界各地にも足を伸ばしながら活動。
1999年10月からはテレビ朝日の米国法人テレビ朝日アメリカの取締役に就任。
2001.9.11同時多発テロの報道ではテレビ朝日社長特別賞受賞。
2003年3月同取締役退任。
2004年3月テレビ朝日との出演契約終了、フリーとなる。
2005年度・2006年度、山梨県立大学客員教授。(国際関係論、平和と安全保障)。
2006年4月名古屋外国語大学現代国際学部教授に就任。(国際関係論、現代アメリカ論、国際経済速報など)
2010年4月~2019年3月名古屋外国語大学・大学院客員教授。
傍ら、名古屋テレビ、東海テレビ、岐阜放送、中京テレビ、CBCテレビ、読売テレビ、朝日放送、毎日放送などに出演、講演も多数。


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