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馬原孝浩
監督・指導者・スポーツ選手 / 医師・医療関係者

馬原孝浩

肩書:元プロ野球選手/整骨院経営/火の国サラマンダーズGM

メディア出演など:



馬原孝浩

1981年12月8日生まれ。熊本市出身。兄の影響で野球を始め、小学校4年生から本格的に野球に取り組む。2003年福岡ダイエーホークスに入団し、ストッパーとして活躍し最多セーブのタイトルを獲得する。
ルーキーイヤーの2004年は開幕一軍入りし、先発投手としてシーズンを通して活躍。2005年から守護神に転向すると、強気な投球と150km/hを超えるストレートを武器に活躍。2006年にはチームの抑えとして確固たる地位を築き、37セーブを記録し最優秀救援投手のタイトルを獲得。以降もホークスの絶対的クローザーとして活躍した。
 2009年には攝津正、ファルケンボーグとともに勝利の方程式「SBM」を形成し、リーグ優勝に貢献。2010年にはチームの日本一にも貢献した。
2011年には右肩の故障をするも右肩の手術を行い戦線離脱するが日本中のさまざまな病院や大学、治療院に通い手技を教わり、独自のトレーニング・ケア法を確立。そこから復活し自己最多登板数を更新し、復帰後もブルペンの要として存在感を示した。
 2012年シーズン終了後、オリックス・バファローズへトレード移籍。2013年はリリーフとして復活し、チームを支えたが、翌2014年は再び故障(投手として当時日本で症例のない右肩神経の怪我)に苦しみ、シーズン終了後に現役引退を決断。
プロ通算11年間で登板499試合、182セーブ、48ホールド、防御率2.83を記録。ホークスの黄金期を支えた守護神としてファンに愛された。
また、引退後はプロ野球解説者として活躍する傍ら、野球教室や講演活動を通じて、次世代の選手たちへ自身の経験を伝える活動を展開。指導者としても精力的に活動し、野球の魅力を広めることに尽力している。

現役時代の故障の経験から「アスリート独自の感覚、更に実績を併せ持ったトレーナーがいれば」と常々考え、引退後は、柔道整復師・はり師・きゅう師の国家資格を目指し、2019年3つの国家資格を取得。

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講演テーマ

「怪我をしない身体づくり」

“再現性のある自己管理法” を、プロの視点で伝える。 馬原氏は現役時代、肩の大怪我により苦しんだ経験から「ケガをしない身体づくり」の重要性に気づき、引退後 は自ら医療の道へ。柔道整復師など複数の国家資格を取得し、再現性の高いセルフケア法やトレーニング理 論を構築。講演では、日々の体の使い方からケアの工夫まで、スポーツやビジネスに共通する「セルフマネジ メント力」を伝えます。


「組織マネジメント」

黄金期ホークスの守護神から、GMとして組織を束ねる今へ。 現役時代は「勝利の方程式・SBM」の一員としてチームに貢献し、引退後は監督・GMとして組織をまとめる立 場に。個の力を最大限に引き出し、チーム全体を勝たせるために必要な「信頼構築」「役割分担」「育成視点」な ど、スポーツ現場での実体験をベースに、企業組織でも活かせるマネジメント術を語ります。


「セカンドキャリアの考え方」

“引退後”に選んだ新しい挑戦。その選択が人生を変えた。 プロ野球選手を引退後、多くの選手が悩む「次のステージ」で馬原氏は医療の道へ挑戦。国家資格を取得し、 整骨院を開業するという稀有なキャリアを創り出すと同時に、独立リーグの監督・GMとして新たな野球人とし てのキャリアを築いている。 講演では「自分の可能性をどう広げるか」「新しいキャリアを見つけるための準備・選択・行動」についてお伝え し、現代におけるキャリア形成にもつながる視点で語ります。


講師情報

講師名

馬原孝浩

カテゴリ

監督・指導者・スポーツ選手 / 医師・医療関係者


肩書

元プロ野球選手/整骨院経営/火の国サラマンダーズGM


経歴

2003年 ドラフト自由獲得枠で福岡ダイエーホークスに入団。
2004年 先発として西武戦で初先発・初勝利を挙げる。
2005年 途中から抑えに転向。6月終盤交流戦からシーズン22セーブを挙げる。
2006年 第一回WBCに出場。シーズン51試合に登板し、29セーブ、防御率1.65。
2007年 シーズン54試合登板し、球団記録となるシーズン38セーブを記録。
防御率1.47初の最多セーブのタイトルを獲得。
2008年 日本人では最速となる通算100セーブを達成。
2009年 第2回WBC日本代表に選出され、チーム最多の5試合に登板し世界一に貢献。
シーズンでは自己最速となる157km/hを計測し、球団新記録となる通算118セーブを達成。リーグ2位となる29セーブを達成。
2010年 登板267試合目で日本人最速で通算150セーブを達成。
リーグ2位の32セーブ、防御率1.63。
2012年 右肩を手術し、リハビリで登板なしに終わる。
2013年 FA移籍に伴う人的補償で、オリックスに移籍。
2014年 自己最多の55試合に登板。33ホールドポイントを記録する。
2015年 現役引退
2016年 柔道整復師・鍼灸師を目指して北九州市の九州医療スポーツ専門学校へ入学。
福岡ソフトバンクホークスの福岡ソフトバンクホークスジュニアチームの監督に就任。
2019年 柔道整復師・はり師・きゅう師の3つの国家資格取得。


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